ペンネームの由来

☆ペンネーム(筆名)の由来。


高校2年17才の夏に小説家になりたくて、自分の筆名を考えた。

歴史時代小説家の司馬遼太郎さんは、本名を福田さんと云うのだが、物書きとして世に出るときに、自分は中国の大歴史書「史記」を書いた司馬遷(しばせん)には、はるかには及ばないが日本の男子という意味を込めて「司馬遼太郎」としたのだという。


精神科医でもある芥川賞作家の北杜夫さんは、信州の旧制松本高校から、仙台の東北大学医学部へと進んだ事と、当時、愛読して尊敬をしていたドイツのノーベル賞作家トーマス・マンの「トニオ・クレーゲル」にあやかって「北杜夫(きた もりお)というペンネームを作り出した。


※梅村沙菜子の筆名の由来


 さな子は司馬遼太郎さんの小説「竜馬がゆく」の中の登場人物で、歴史上に実在した。竜馬のもう一人の妻と呼ばれることがある女性だ。竜馬が江戸に出て剣術を学んだ道場は、北辰一刀流の開祖千葉周作の親族で、千葉貞吉が開いた俗に小千葉とも呼ばれる桶町の道場。その家にいた貞吉の娘の一人が佐那女と言われる人物で、彼女も剣術をたしなんだ。


竜馬が手にした北辰一刀流免許皆伝書の中に流派の者として末尾に名前が記されている。一時、竜馬の土佐の実家と千葉家の間で婚約の話が持ち上がったが、それは破談になった。その後佐那女は、病気の姉妹の看病をしたりと、生涯独身を通した。晩年は房総あたりで鍼灸院などを営んで明治の世まで生きたと云う。自由奔放だったと云われるおりょうさんとは対極にある、家に殉じた人柄の女性だ。


(たぶんその頃じぶんは失恋をしていて、こんなペンネームを思いついたのだったか…。)


名字の梅村は、“小田原の梅”にあやかって付けた。小田原には曽我梅林などがあり梅干しのお土産なども有名だ。県立小田原城内高校の卒業生の自分は、「梅に増鏡」の記章を胸に付けて学校へと通った。我が家の紋は梅鉢である。神奈川県西部の山里に暮らす身の上なので梅村とした。


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近影:2018年 58歳

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