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zoom RSS 心は良寛さん

<<   作成日時 : 2010/10/11 22:12   >>

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 今から250年程前(1758年)越後の出雲崎(新潟県三島郡出雲崎町)に良寛(りょうかん)さんは生まれた。幼名は山本栄蔵。町名主の家の長男で、子供の頃は「論語びたり」と言われるほど学問に励んだ。将来家長になる立場として、17才で家の名主見習となるもそこで挫折を迎える。親の勧めで結婚をしていた妻とも半年で離縁となる。18才でひそかに家出を決行する。22才、家督を弟に譲り、備中玉島(岡山県倉敷市)に渡り、円通寺の国仙和尚により得度し良寛となる。ここで十二年、禅宗(曹洞宗)の僧侶とし修業を積む。
 
 26才の時母死去、38才の時に父が京都桂川に投身自殺をして亡くす。諸国を放浪して40才で故郷に帰る。五合庵と呼ばれる家を人から借りるも、それは名目上、家のメンテナンス(風通しや維持)のためにただ仮寓させて貰っているだけで、ホームレスの乞食と同様の暮らしぶりだった。
 
 良寛さんは、一生涯、江戸幕府の制度の下統率された寺院には入らず、一所不在、随処作主、つまりは、町の家々を托鉢して回り、仏法の布施を(ボランティア)をして回り、米麦や銭を「喜捨」していただく(貰って歩く)生活をつらぬいた。
 
 家によっては無愛想に慳貪に追い払われる。だが托鉢の僧であるから「忍辱」の精神で耐える。托鉢に回る家の老人に介護のためにお灸をすえたり、マッサージをしたり、老婆の愚痴を時にはとことこん聴いて、悩みを受けて慰めるといった無畏施(不安を解消する)の布施行を務めて回った。

 良寛さんと言えば、子供と手毬をついたり、かくれんぼをしたりして、遊ぶお坊さんとして有名だ。ある時は、かくれんぼで良寛さんが隠れていると、鬼に見つかる前に日が暮れてしまった。子供達は、先に勝手に帰ってしまった。良寛さんは朝まで、隠れる役をやり続けてその場に座っていたという。
 
 良寛さんは慈悲深い。仮住まいしている五合庵は竹林にあって、春には勝手に竹の子が生えてくる。家の縁の下から寝ている床を突き破って生えてきても、それを憐れと思い、そのままでなんとか対処して暮らす。時には別棟の便所に生えてきた竹の子が草の屋根につかえるまでに育つと、屋根にあたっては竹の子がかわいそうだと言って、ろうそくの火で屋根に穴を開けようとして、返って便所を全焼させてしまったりする。

 良寛さんは禅僧であると同時に、歌人、漢詩人、書家でもあった。お経は読まないが、幼い子を亡くした親があれば、その心情を代わりに歌に詠んであげた。手紙を書き、人と会い、酒をふるまわれることあれば、人々と楽しく談笑して、飲酒することを愛した。寺には住まず、弟子はとらず、妻子はなく、季節の野山の風情を愛でて、自由で孤独な詩作三昧の暮らしぶりは、僧侶として最高の行雲流水を生きたとも言える。

 「盗人に とり残されし 窓の月」
 
 これは、ある時良寛さんが詠んだ歌。良寛さんの庵には、何故か何度も泥棒が入る。さりとて盗れるものなど殆ど無い。泥棒はある時、寝ている良寛さんの敷布団を引いて奪おうとした。寝たふりをしていた良寛さんは軽く寝返りを打って、盗みやすくしてやったという。
 さりとて、家には一応、なべ釜や硯や筆などはあるだろうそれを持って行かれたら良寛さんだっていささか、くやしい。負け惜しみの様だが、泥棒に同情して良寛さんはこの歌を詠んだ。

 この庵にある最も価値のあるものは、家の窓にかかった大きくて丸い美しい月であることよ。如何に盗人と言っても、そこまでは盗れまいと…

 一方で春の野に出て、スミレの花を摘むのに熱中して、大切な「鉢の子」(托鉢をする時に、食べ物を入れてもらう木の器)を置き忘れてしまっても、誰かがあとで届けてくれる。自分の分を知っていれば、周囲の心ある人によってそういう次第となる。

 良寛さんは74才まで生きた。晩年になると詩歌や書の学をかわれ、殿様から城に上がらないかと招きを受ける。だが断る。そして若い尼僧の貞心尼がある時、手毬を持って良寛さんを訪ねてくる。二人は歌を取り交わし、淡い恋慕の情を互いに抱く。そして(はちすの露)が編まれる。

 良寛さんは奇跡も起こす。ある時、甥の馬之助なるものが、家で仕事もせず放蕩の限りを尽くしている。見かねた両親が家に良寛さんを呼んで、諭して貰おうとした。五日間滞在をして、しかし良寛さんは彼に何もして上げることが出来なかった。その家を去る時、良寛さんはその放蕩息子に、私のわらじのひもを結んでくれないかと言った。良寛さんの足元に座った息子の首筋に冷たいものが一滴落ちて来た。馬之助はハッとした。見上げると、目にいっぱいの涙をためた良寛さんが立っていた。放蕩息子はその瞬間に改心したという。

 良寛さんが学んだ禅宗の宗派である曹洞宗の開祖道元の著した「正法眼蔵」の中に「愛語よく回天の力あることを学すべきなり」という言葉がある。良寛さんはそれを世に現そうとしたのである。世捨て人の乞食といい、聖僧と呼ばれる良寛さんの姿だ。今の世の中で、良寛さんのような生き方を出来る人はいないだろう。しかし、心は良寛さんの様でありたいと思う。

 良寛さんの号は「大愚」という。僧侶は、自分の事をさして良く愚僧という。自分の愚かさ知っている人は、心ある聡明な人であると私は思う。以下は良寛さんの辞世と呼ばれている歌など…。

 散るさくら のこるさくらも ちるさくら
 
 形見とて 何残すらむ 春は花 夏ほととぎす 秋はもみぢ葉





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